近年「愛情ホルモン」として知られるようになり、様々な分野で注目されつつある物質「オキシトシン」をご存知でしょうか。オキシトシンを摂取することで、人への信頼感が増すという研究から知られるようになり、さまざまな研究が今も盛んに行われています。そのニックネーム通り、オキシトシンは、母子の間のスキンシップにより分泌されるものでもあり、絆を作り出したり、食欲を抑えたり、ストレスを緩和したり、あるいは自閉症の症状を改善したりなどの作用があります。以下オキシトシンの生理作用についてまとめられた図を参考にしてください(山田,2015)。
これらオキシトシンの作用の中で、僕たち心のケアに携わるものが特に着目するのが、信頼や絆の形成に関する作用です。Dr. Takaの考え「カウンセリングの方法:心理療法の効果について」でも述べている通り、カウンセリングにおいて、相談者とカウンセラーにの間で信頼や絆の形成されるかどうかが、ダイレクトにカウンセリングの効果を決定していきます。そしてここからが本題ですが、カウンセリングの効果を決定することに影響を与えると考えられるオキシトシンが、トラウマ体験によって減少してしまうの可能性が示唆されています。つまり、トラウマ体験により、様々な症状を呈すのでそれらを改善したいところですが、それを改善するためのカウンセリングで、信頼の絆の形成が難しくなる(つまりカウンセリングの効果が制限される)可能性があるのです。
トラウマ体験とオキシトシン
①トラウマと②信頼/絆形成、そして③オキシトシンの関連はたくさん研究されています。まずは、①トラウマと②信頼/絆形成についてご紹介したいと思います(Janssen, 2022)。そして次に①トラウマと③オキシトシンについての知見(Donadon, 2018)をご紹介しましょう。
トラウマと信頼/絆形成
トラウマを克服するためには、カウンセラーとの間に信頼や絆を形成し、そして周囲の人たちを信頼してサポートを得ることが必須となります。そのためには、トラウマ体験者の「社会認知機能」が求められます。社会認知機能とは、人との関係における適応的な行動を生じさせるための捉え方や感じ方のことを指します。例えば誰でも辛くて1人になりたいと思う時はあると思います。一時的でありその状態から自分で回復することができるのであれば、それも問題ありませんが、慢性的であり自分で回復することができなのであれば、周囲からのサポートが必要になります(友だちに外に連れ出してもらったり、家族に話を聞いてもらったり)。
そういう状況で「そうだな、気を遣って誘ってくれたから悪いし、ちょっと気晴らしに外にでも出るかな」と思ってサポートを得る、という捉え方(気を遣ってくれた)や感じ方(申し訳ない)をする機能です。トラウマを抱えると、この「社会認知機能」が有意に低下することが分かっています。特に、人の言動の捉え方や感じ方(メンタリゼーション:人の心を適切に察する)において、トラウマで悩むことにない人たちより、機能的でないことが分かっているのです。
捉え方(メンタリゼーション)機能の減少
人の心を適切に察すること(メンタリゼーション)は、良い人間関係を形成し維持するには必須の機能です。上記の例のように、友だちが気遣いで誘ってくれたことを、その意図を理解せず「自分を利用しているのだろう」などと思うのは現実的ではないし関係の維持も難しくなります。またカウンセラーの手助けをしたいという意図に関しても読み間違え「自分をいいカモだと思っていてなかなか治そうとしない」などと思ったら信頼や絆の形成もままならなくなります。こういったネガティブな捉え方は、トラウマの症状である回避や感情が麻痺した感覚から生じるものだとされています。その背景には、トラウマに悩む人は脳の特定の部分の活動が通常とは異なる(扁桃体の過剰活動と内側前頭皮質の過小活動)があると考えられています。一方で、人の心を適切に察することが結果というよりトラウマの原因にもなっている可能性もあります(つまり元々人の心を適切に察することが苦手な人がトラウマを負いやすい)。
トラウマとオキシトシン
Donadonら(2018)はデータベース上の1200以上の研究から、トラウマ体験とオキシトシン量の関係についてメタ分析をしました。メタ分析とはたくさんの研究をまとめて分析する手法で、その結論においては最も信頼のおける科学的分析方法です。分析の結果、最終的に分析された35の研究において、トラウマ体験と減少したオキシトシン量には関連があることが見出されました。つまり、トラウマに苦しむ人は、オキシトシン量が健康的な人と比べて低いということを意味しています。この結果は、幼少期のトラウマ体験が、オキシトシンを分泌するとされる脳の特定の部分(視索上核)に影響を与え、ストレスへの耐性の弱さや制限された社会認知機能をもたらすとする仮説を支持するものです。
このような知見から、オキシトシンを投与するとトラウマが改善するのではないか、と考える学者も多くあり、その関連についての研究も多くなされています。まだ未知数ではありますが、カウンセリング開始時にオキシトシン量が多いと、カウンセリングによる変化をより感じやすいことを示唆する研究もあります。また共感とオキシトシンの関係を示唆している説もあり、共感的なカウンセリング(例えばTIPモデルを使ったカウンセリング)においてオキシトシン量を高め、より高いカウンセリングの効果を出すことも、可能なことも示唆されます。
本記事のまとめ
本記事では、トラウマ体験と社会認知機能、そして愛情ホルモンであるオキシトシンの関係について、現時点での知見をお伝えしました。トラウマ体験と制限された社会認知機能には明確な関係があり、それがトラウマ克服を妨げている1つの大きな要因となります。またトラウマ体験と減少したオキシトシンにも関係が示唆され、トラウマ克服のためにカウンセリングへの応用も研究されています。
Janssen, P. G. J., van Est, L. A. C., Hilbink, M., Gubbels, L., Egger, J., Cillessen, A. H. N., & van Ee, E. (2022). Social cognitive performance in posttraumatic stress disorder: A meta-analysis. Journal of affective disorders, 297, 35–44. https://doi.org/10.1016/j.jad.2021.09.082
Donadon, M. F., Martin-Santos, R., & Osório, F. L. (2018). The Associations Between Oxytocin and Trauma in Humans: A Systematic Review. Frontiers in pharmacology, 9, 154. https://doi.org/10.3389/fphar.2018.00154