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フリーターのたかしさん(仮名)は、人間関係で困っていました。今まで何度か女性と付き合っていたことがありましたが、毎回同じパターンで終わっていき、自分ではなぜそうなるのか、どうすれば防げるのかが分かりませんでした。相手と距離が近づき、馴れ合いになってくると、相手に強い怒りを感じて関係が維持できなくなるというものでした。

あるセッションで、たかしさんは次のような体験を私に話してくれました。あるアルバイト先で、在庫確認のために裏に回ると、そこでは社員の恵子さん(仮名)が作業をしていました。たかしさんは、恵子さんのことが気になっており、付き合いたいと思っていました。周囲には誰もいなく、ちょうど恵子さんが作業の手を止めたので「チャンス」と思い、観たいと言っていた映画を一緒に行かないか、と誘うおうと思いました。

そう思った瞬間、たかしさんの頭に鮮明な記憶が蘇ってきました。たかしさんがまだ小学校低学年だった頃「お母さんが出ていけばいいのね!」と、何かのおりに逆ギレした母親が、家を出てそのまま夜遅くまで帰ってこなかった時の、母親のその表情が思い出されたのでした。すると心臓が急に高鳴り、呼吸が浅くなり、そして体全身が固まるような恐怖感を覚えました。


これはいわゆるフラッシュバックと言われるPTSD症状の1つです。過去の記憶を脈絡あるなしに関わらず、深く思い出して、あたかも当時を再体験しているかのような感覚が襲うものです。フラッシュバックに限りませんが、なぜPTSDの特定の症状が生じるのかは、確かには分かっていません。そんな中で、フラッシュバックを含めたPTSDの症状がどうして現れるのかを、脳画像研究の根拠を基に体形立てられた理論が近年登場しました。「コンテキスト処理モデル」と言われる理論ですが、それを本記事では、フラッシュバックを中心に、噛み砕いてお伝えします。

フラッシュバックとは

たかしさんの例のようなフラッシュバックは、過去の記憶が再体験される、専門的に「侵入症状」と呼ばれる体験です(PTSDの症状については「トラウマ症状(大人)」を参照)。私たちは誰でも過去の記憶を思い出そうとして意図的に思い出すことができます。侵入症状は、思い出そうとしてではなく、思い出される体験を指します。つまり意志とは無関係に湧き上がる記憶の想起を指します。

意志とは無関係に思い出される体験は誰でもします。ハワイ旅行の写真を見れば、思い出が浮かぶし、特定の香水が香れば、昔好きだった人のことが思い出されます。そういった意味で言えば、フラッシュバックも同種の想起体験であり、日常的な体験からかけ離れたものではないことがわかります。一方で、日常からかけ離れ病的であると考えられるのは、その程度や頻度です。

過度な程度

通常私たちは現実の中に生きており、「今ここでこれをしている」体験を把握しています。トラウマ記憶が想起されると、外の世界の刺激ではなく、内の世界の刺激に危険を感じ注意が強く惹きつけられます。すると「今ここでこれをしている」ことが二の次になり、注意がそこに向きにくくなります。その代わりに「あの時(トラウマ体験時)あそこであれをしていた」ことが今の体験を支配し、トラウマ記憶由来の心身の症状をきたします。注意が「あの時あそこであれをしていた」に集中すればするほど、その症状が強くなるので、現状にそぐわない他者からは理解のできない体験が生じます。これは思い出すだけ(今思い出している)では起き得ない病的な体験です。

過度な頻度

トラウマ体験後、トラウマ症状(大人)で示されるよう、時間を追ってトラウマ症状が変化します(トラウマ症状→PTSD症状)。そのメカニズムはまだよくはわかっていませんが、変化の1つに、症状を引き起こす刺激の「広がり」(汎化)があります。交通事故のトラウマ体験を持つ人が、同じ色の車を見るたびに事故を思い出すのではなく、他の色の車や、他の乗り物(自転車含む)を見ても、事故のことが思い出される、などです。特に幼少期の逆境体験と呼ばれる、子どもにとって望ましくない体験があると、脳の発達が影響を受け、この汎化が促進されます。それにより、日常生活の中でただ思い出す、では説明できない頻度でトラウマ記憶が思い出されれます。

コンテキスト処理モデル

「熊」と遭遇するという2つの違った場面を想像してみてください。1つ目は、動物園で展示されている熊を檻越し、あるいはガラス越しに見るという遭遇。2つ目は、山登りの途中で偶然出会ってしまうという遭遇。2つの場面では、あなたの(あるいは誰のであっても)反応は違うことは、想像できるでしょうか。動物園で熊に遭遇する場合は、心地よい興奮を感じ、楽しい気持ちになる、そのような反応が起きるでしょう。一方で、山で野生の熊に出会ってしまった場合、強い興奮を感じ、怖い気持ちになる、そのような反応が起きるでしょう。

同じ熊をみて、どうして反応(少なくとも想像する反応)が違うのでしょうか。それはコンテキスト(文脈)が異なるからです。動物園における最も大きな文脈は、安全が保障されているということです。距離もあり檻もあり、身の危険を感じることなく何もすることなくその場に居られるという状況です。一方で登山の大きな文脈は、安全が保障されていないということです。距離もなく檻もなく、身の危険を感じずにはいられず、その場ですぐにアクションが求められるという状況です。

コンテキストによって反応が違うのは、熊に遭遇した時に限りません。多くの物事について言えることです。同じ食べ物でも、コンテキストが違えば美味しくも美味しくなくも感じられます。そして、それは言われなくても誰でもわかっていることです。誰でも自らの体験から、実感を伴って理解しています。この当たり前のようなことが、フラッシュバックでは通用しません。つまり、コンテキストに無関係な反応が出るのです。

冒頭のたかしさんに話を戻しましょう。たかしさんは気になっている女の子を映画に誘おうとしていた状況にいました。多少はドキドキはするかもしれないけれど、全身が固まるような恐怖感に襲われることはない状況です。つまり、たかしさんはコンテキストから考えると、場にそぐわない過度な体験をしたわけです。というよりも、その場(今ここでこれをしている)を体験はしていませんでした。母親が出て行こうとしていた場(あの時あそこであれをしていた)を体験していたのです。

トラウマ体験は、体験者の注意を惹きつけます。惹きつけられた体験者は、そこに没入してしまい、今ここでこれをしていることを忘れてしまうのです。少なくとも脳の中では、コンテキスト(今ここでこれをしている)情報が処理がされず(処理が少なくなり)目で、耳で、身体でいま起きていることは分かってはいるけれども、真には分かっていない状態になっているのです。つまり、コンテキスト(今ここでこれをしている)の情報処理に問題が生じるのです。これがコンテキスト処理モデルが解くフラッシュバック、あるいはPTSD症状が生じるメカニズムです。

本記事のまとめ

本記事では、フラッシュバックがなぜ起きるのかについて説明をしています。フラッシュバックは、通常の「思い出す」を程度と頻度で越えた病的な体験です。様々な要因でフラッシュバックは起きますが、コンテキストを処理する脳部位に障害をきたしている、とコンテキスト処理モデルでは説明されます。